ストリートスマートスピリチュアル

瞑想クラスで習う内容は、今すぐに実践できるツールになっている。本や教室の中から学ぶ学問というよりも(ブックスマート)、実践で身につけていく経験(ストリートスマート)という方が合う。

スピリチュアルに触れてみたい気持ちは、語学に触れてみたいと同じで、幅が広い。例えば、理論上、語学をいくら知っていても、現地で異文化とのコミュニケーションが取れるとは限らない。自分は語学を勉強して知識を増やしたいのか?それとも異国でコミュニケーションを図れるために語学を手にしたいのか?目的の違いを知ることで学ぶ手段も違ってくるはず。

瞑想ツールを使うと、スピリチュアルをストリートスマートレベルで体験することが出来る。ここでのストリートスマートって、実体験からもたらされた智慧を現場で使える力。瞑想ツールは、考えたり、論じたり、計算したり、分析するものではなくて、使われるもの。そう、道具です。スピリチュアルを体験するための、道具。

だから、瞑想ツールを使いながら、スピリチュアルを理解しようとすると、混乱することになります。ハサミを使う練習をしながら、物理の公式を理解しようとするようなものです。(たぶん。)ハサミを使うのに物理の原理を知る必要がないように、スピリチュアルに関わるのに、内容を理解する必要はありません。

自分の整え方、社会や人生との折り合いのつけ方を現場主義的に、スピリチャル的に関わりたい時、瞑想は道具として役に立ちます。頭で考えることを止めて、実際の行動を起こすことが出来るし、過去の経験から得た少しのスピリチュアル的筋肉で状況を切り抜けることも出来たりする。そして何よりも、スピリチュアル的に関わることが出来たことで喜びと自信が生まれる。

ストリートスマートって、そんな循環になってる。現場にいればいるほど、経験が積まれていく。そうすると、どんな経験も無駄では無いとわかるし、些細なことでも学びなんだとわかる。生活と人生そのものが学び場として提供されていることに気がつく。

私がスピリチュアルに関わりたいと思い始めた頃、この違いがわかっていなかった。なので、本を読んだり人の話を聞いたりしていたのだけれど、つまらなかった。本や話は面白いけど、自分は相変わらずつまらなかった。どんなに知識を集めても、自分に変化が何も起こっていないのがわかっていたし、スピリチュアル界で目にするものは、ほとんど興味がわかない光景だった。それに、理解しようとすればするほど広すぎる世界に圧倒されて、無力感だけが増えた。でも、どうしても自分に欠けているものはスピリチュアルなのだという思いがあって、探している対象がなんだかわからない状態で探し続けた。そこでたどり着いたのが、瞑想ツールだった。

ストリートスマートなスピリチュアルを体験したい人には、瞑想ツールをお勧めしたい。あの時、探し物が不明の状態で、実は瞑想ツールを探していた私のように、今もきっと探している人がいる。これからもそんな人たちと私は出会うことになる。時期が来れば、出会うことになっている。だから私はまだまだ教え続けるのかもしれない。

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