サナギとヨガの10ヶ月

去年の夏から、ずっとヨガスランプだった。ヨガが好きなはずなのに、抵抗ばかり起こって、体が動かない。ほんのたまにマットに乗って申し訳ない程度のヨガをして、なんとかヨガをつなぎとめていた。

ヨガができない状態は症状であって、原因は別にあることは、経験上わかっていたけど、具体的に何なのかはわかっていなかった。でも、これも経験上、わからなくても、変化の過程だとは、わかっていた。変化期は、それまで好きだったものや得意だったものが出来なくなったり、興味の変化があったり、することはよくある。ヨガと距離が出来てしまったのは、ヨガに原因があるのではなくて、私の成長過程から発生した症状の一つで、もっと深いところでの改革が起こっていた。

できることだけを続けて、10ヶ月以上過ぎた頃から、急に変化が目に見えるようになった。ヨガが再び出来るようになったし、以前とは比べ物にならない深いプラクティスが体験出来るようになった。ヨガ以外でも、ライフスタイルから、体調と気分など、全ての面で一皮も二皮も向けて、自分でいる自由度が一気に上がった。振り返れば、10ヶ月以上もサナギだったんだな。

ヨガで体を動かす時は、呼吸とコアな部分とつながりながら、動かす。呼吸とコアとのつながり無しのヨガは、ヨガと言うより運動で、私は怪我してしまった時はいつも呼吸とコアがおろそかになっていた。

自分の軸とのつながりをおろそかにした行動は、長い目でみると持続性に欠ける。ヨガの見た目のポーズを追ってみても、本来の恩恵を体験出来ないのと同じで、普段の行動や活動も、自分とのつながりなしでは、充実感や幸福感が得られない。

自分とのつながりを再構築するために、遠回りしなくてはならないと思える時があるけど、一回つながってしまうと、応用可能、持続可能。どこまでも自分を支えてくれるエネルギー源になる。

それ以前に、”遠回り”だと判断している時点で合理性を求めている。例えば、10ヶ月は、長いのか、短いのか。長い長い転生の中で、今まで体験したことのない自分が生まれるための準備時間だとしたら、サナギはそんなに悪くない。合理性と理性から見ると、サナギは無駄な時間に見えるかもしれないけど、タマシイの成長には欠かせない大切な時間。サナギの時期はサナギとして過ごすに限る。

by
関連記事
%d bloggers like this: