たましいレベルにアクセスしたかったら、たましいとしての時間を過ごす

でもどうやって?

リーディングとヒーリングの後に一番よく聞かれるのが、この言葉。

たましい世界は、漠然としすぎて、取り組み方と関わり方がわかりにくいというのが一般的な意見です。

ですが、私たちの存在そのものがたましいであることも事実です。

だったらこのギャップってどこからきているの?

それは、

人としての時間だけを過ごしていて、たましいとしての時間を過ごしてないから。

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人としての時間。

体の生存維持、仕事を含んだ経済活動、知的&物質的生産活動、人間関係、身体的活動は全て人としての活動時間です。

睡眠以外の1日の中で、これらの占める割合はどれくらいだと思いますか? 

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たましいとしての時間。

内省、瞑想、祈り、創造、浄化などの内側に向き合う活動は、たましいとして過ごす時間です。(上級者になると、何をしていてもたましい時間となります。)

たましいとして過ごす時間が増えれば増えるほど、たましいレベルとのつながりが強化されます。

筋トレをすれば筋肉が鍛えられて、カラダとのつながりが強化されるのと同じです。そのためには、筋トレをする時間を作ることが必要です。

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たましいとしての時間を作るのと、筋トレの時間を作るのと、どちらが難しいと思いますか?

私たちは、行動の結果を出すように教えられ、結果を求めるように条件付けられています。だから、体重が減り、スタイルが良くなり、もしかしたら健康診断の結果が改善される可能性が大きい筋トレの方を好む傾向があります。動機が明確で、モチベーションを保ちやすく、結果を確認しやすいからです。

瞑想や内省をすると、確実に気づきが多く、深くなります。

が、それは目に見える結果として扱える訳ではないので、価値が薄いように感じられてしまうことがあります。

でも、考えてみれば、私たちがたましいレベルで扱うのは、目に見えない心境や価値観です。なので、プロセスされる場も、生み出される「結果」も、見えないレベルで当然なのでは。

(もちろん、形あるものを通して、たましいレベルにアクセスするヨガや断捨離などのアプローチもあります。)

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たましいとしての時間を過ごすと、状況を改善できる、自分を変えれると知っていながら実践しないのは、

とは言いながらも、人としての時間だけで、なんとかやっていかれているから

の場合が多いです。つまり、切羽詰まっていない。まだまだ逃げ道やわき道があるので、たましい側に飛び移らなくても、やっていかれるからです。

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ほんとうに、どうにもならなくなった時。

人としてやり尽くした時。

人はたましいの可能性に移行する時があります。

困難な状況に陥り、道がそこしかなかったから、好きとか嫌いとか言ってられない。ギリギリに追い詰められたからこそ、たましい側のドアを開けた。

たましいレベルの指導者&実践者に、壮絶な過去を持っている人も多いですけど、

内面の負が大きければ大きいほど、たましいとしての時間がなければ、人として生きていけないからです。

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筋力アップしたかったら、運動する。

たましいレベルにアクセスしたかったら、たましいとしての時間を過ごす。

当たり前に聞こえますけど、これが唯一の道です。

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私からすると、たましいとして過ごす時間は、

ひとりでできる
何も使わない
お金がかからない

など、エコ100パーセントで、とっておきな時間です。

でも、さっきも書いたように、「目に見える成果が全て」の人として過ごす時間の中では、無駄のように感じられてしまうんですよ。

私は、瞑想をはじめた頃、

瞑想して、どうなるの?
資格とかもらえるの?

などの質問を周りの人からたくさんされました。

いいんです、他者から受け取る懐疑的な質問も、「無駄だよ」という自分の頭の中から聞こえてくる声も。

たましい時間を過ごす時のあるあるです。

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ここ何年かで、モノの時代から、コトの時代になったと言われています。人は、モノを所持することよりも、コトを体験することに価値を置くようになってきたと。

コトって、体験ですよね。

旅行へ行くコトも、美味しいものを食べるコトも、心地よいマッサージを受けるコトも。

これからさらに時代が進むと、価値観の重心がコトからアルに変化していくんじゃないかなと、思ったりしてます。

アルとは、コトを体験している自分のアリ方。

例えば今は、旅行に行った! あれ見てきた! あれ食べてきた! という反応が主流ですが、(インスタとかそのまま)

これからは、旅行に行って、どれだけ内側が反応したのか、何にココロを動かしたのか、何を考えたのかに価値が見いだされる。

コトへの反応から、自らのアリ方観察が、大切になっていくんじゃなかと。

動きはすでに始まっていますが、社会として動いていく方向なんじゃないかな。

それって、たましい時間が増えると、自然にシフトしていく方向です。

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