本当の夢は、目を覚まして描くもの

私たちは、夢の中で生きていることが多いです。その前に、夢を見ながら生きているとはどうゆうことでしょうか?
ここでお話しする「夢」とは、他者や社会の仕組みによって作られたシナリオです。私たちは、その「登場人物」として参加していますが、「夢」の中で生かされていることに気がついていません。
「夢」を見ている状態は、不自由です。「夢」の中では決められたルールとあらすじに沿って行動することを求められ、個人の可能性は排除されています。自らが持つ情報や可能性よりも、「夢」の支配力が大きいのです。
見ている「夢」に満足している人もいれば、満足していない人もいます。満足している人は、「夢」を見させられていることに疑問を持たないで、「夢」の持続の為に全力を注ぎます。満足していない人は、「夢」から覚めるのを今か今かと待つ事になります。
「良い夢」を見続けていたい人たちにとって、「目を覚ます」ことは、引きずり降ろされるような感覚です。ほとんどの場合、大きな抵抗が起こります。「良い夢」が終わってしまうからです。
映画マトリックスでは、主人公のネオがマトリックス(夢)から目を覚まし、現実世界を受け入れ、マトリックスに挑みます。第1作目に出てくるサイファーという裏切り者は、マトリックス(夢)から目を覚ましたことに憤りを感じ、仲間をマトリックスに売る役柄。「夢」の中で眠ったままの状態を好むたましいです。
逆に「夢」から「目を覚ます」ことを望んでいる人たちにとって、「夢」は悪夢である事が多いので、「目を覚ます」ことイコール悪夢から解放される。なので、ホッとするはずです。
こんな風に、私たちは良い夢と悪夢を分けていますが、実際はどちらも「夢」を見ている事に変わりはありません。どちらかの「夢」を見ている限り、現実で目を覚ましていません。
私はリーディングを受けられている方たちが「目を覚ます」瞬間を何回も見届けてきました。リーディングとヒーリングは、「夢」から「目を覚ます」のに、効果的なツールです。
目の前の霧が晴れた。我に返った。という感想が出てくるのは、「悪夢から目が覚めた」からです。
リーディングは、それと同時に、いわゆる「良い夢」に執着している場合にも、目覚まし的な効果があります。
「良い夢」を見ている時には、起こされたくない場合がほとんどですが、先ほど書いたように、「夢」を見ているのには、変わりありません。自らの可能性を発揮できる自由さは、実はそこには存在していません。
何に執着しているのか? 何を手放す事を恐れているのか?
「夢」から覚める過程では、それまでどっぷりと浸って見えていなかった「夢」が客観的に見えてくるものです。
本当の夢は、目を覚ました状態でえがくもの。
目が覚めた状態の私たちは、他者のルールやシナリオから解放された状態です。そこは、自らの創造性で、自由に夢を見ることができる場所です。