気づきの種をまいておく

「あぁ〜っ!」と「ふぅ〜ん」の間には、その人の内側の経験の差があらわれている。

納得が行く。腑に落ちる。スッキリするは、

その大きさの差はあるかもしれないけど、どこかで「気づき」が起きているようです。言葉に出すと、「あ〜っ!」(そうゆうことだったのか!)「あぁ〜〜。」(なるほど〜〜。)でしょうか。

気づきは、それまでつながっていなかった点と点が結ばれる瞬間。所在なく宙に浮いていた点の、落とし所が現れる瞬間です。

そして、気づきが起こる以前は、この所在なく漂っている点は、ココロやマインドの中で落とし所を探してさまよっている時期が必ずあるってことになります。

さらにその以前は、どこかで、所在なく漂うことになるだろう点が生まれていることになります。

読んだ本の理解できない部分 だったり、日常の中でふっと感じた疑問など、どこかで「どうゆうこと? なぜ?」が起こります。

でも、その場で解決されなくて、もやもやを抱えている状態です。

私は、このもやもや状態は、深い気づきにつながる場合ほど、大切な時期だと捉えています。

もやもや状態は決して停滞ではありません。「なぜ?」という問いは、それ自体が方向性を持ち、答えに向かいます。

人の成長や学びにつながる気づきは複雑です。

「なぜ?」の小さな点が生まれてから、「あぁ〜!」の気づきが起こるまで、内側では情報経路を組み替え続ける化学反応のようなものが起こり続け、最適化が進められます。

そして最終的に、気づきと呼ばれる反応が起きるきっかけの、誰かの言葉に出会ったり、状況に出くわしたりするわけです。

最適化は、気づきが起こるための現場作りです。

もし、最適化が進められていなければ、同じ状況に出会っても、気づきは起こらないかもしれません。まだ十分に熟れていないからです。

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気づきの種、出発点は、「なぜ?」や「もやもや」です。

何かを聞いた、体験した時、「ふぅ〜ん。」という反応がありますけど、これは「あ〜!」に比べると、内側の情報経路がそれほど反応していない感じです。

その人の内側に響く物が少ないということは、

「なぜ?」の種が植えられていないから、何もヒットしないということです。

悩みや問題を抱えてないから、気づきが起こらないわけじゃありません。誰でも悩みや問題があるものです。それに対して、

興味や自主性を持って向き合っているか?

が違いなんだと思います。

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自らの問題だけでなく、社会問題、哲学的思考、趣味や仕事など、主体的に取り組めば取り組むほど、「なぜ?」は増えていき、気づきも増えていきます。それが成長することで、学ぶことにつながります。

でも、気づきは必ずしも答えとはかぎりません。

「答えはない」が気づきという場合もあると思います。

それでも、その人の時間とエネルギーを使い、もやもや期(熟成期)を通って出会う気づきは、その人ならではの答えです。

過程で行われた情報経路の変化がその人の智慧になると、「気づき ビホォー」「気づき アフター」のように、違った人になった感覚があるほど変化があったりします。

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コメント2件

  • ca bo do says:

    なんだかずっと悶々としすぎていて、あきらめようとかドラスティックな変化を起こそうみたい気になっていたところでこれを読みました。 ゆっくりではありますが、「内側では最適化がおこなわれているんだ」と自分に認識させることで、もっと今の「悶々とした状態」に興味がもてたからでしょうか、新しい気づきに出会えました。 この記事にこのタイミングで出会えてよかった (笑顔)

    • hanenaga says:

      全部辞めてやる〜みたいな、自暴自棄な思い、出てきますよね。

      最適化途中のもやもやは、前を向いていれば、少しづつ変わっていきます。
      途中過程では、そんな風に思えませんが、、、、
      まいた種は、伸びていく方向を間違えないからです。

      チューリップの球根が、太陽の方向を知っているのと同じです🌷

      そしたら、もやもやは、地中から芽を出すために
      かき分けなくちゃならない土壌かな。

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