よろこぶ自分を真ん中に

夕方の犬の散歩。ほぼ封鎖状態が始まってから( この対策は、サーキットブレーカーと呼ばれている) ある家の前の張り紙を見るのが、密かな楽しみになっている。

今日のホームシアター上映会は、、、とか

問う世界 「 家族と過ごす時間?! 」 答える2020年 「ハイどうぞ 」とか、一言書いてある。

今日は、魚に語りかけ始めた だった。

がんばらない、励まさない、なぐさめない言葉でも、ココロに届くのは、言葉の向こうにいる人の、毎日に向き合う姿勢が感じられるから、なのだと思う。

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アメリカの空軍士官学校の卒業式のニュースを見た。知り合いの子供達が通っていて、内情を少し聞いていたせいもあって、卒業できたこと、卒業式が行われたことが、とても嬉しかった。

卒業生だけと数人の来賓(副大統領もいた)が出席した静かな卒業式だったけど、嬉しそうに帽子を空に放り投げる姿を見たら、胸がいっぱいになった。

卒業生たちの純粋な感動が、私にも伝わってきた。他の誰かの喜ぶ姿に、こんなに素直に自分も喜んだのはいつだろう。

そして、心から喜んでいる自分のココロにも、また嬉しく思った。

不便は不幸せじゃない

便利が幸せでもない

幸せは 幸せだと感じるココロ

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状況が落ち着いて、国や経済が再開される時、散歩中にひと言日記のような張り紙が見られなくなることを想像すると、寂しい。でも、それはそれで嬉しいことだと解釈されなくちゃならないはずだけど。

NYクオモ知事は、大人になった娘3人が家に戻ってきて、大切な時間を一緒に過ごしている。こんな事態にならなかったら、この貴重な体験もできなかったはずだと言った。

物事は、いつも多面的だ。

個人が、意識するなら、どの事実をどの方向から見るのかを決めることができる。

私の感覚の中心から捉える物事以外、重要じゃない。

大切にするのは、感覚の中心そのもの。

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