気づきが起こりやすい土壌は作れる

壁の向こうに広がる景色がある

気づきが起こると、

それまで見えていなかった景色や事実が、パッと目の前に広がる

ドン詰まりだった問題が、違う視点から見える

一部しか見えていなかった課題の全体像が見渡せる

問題そのものが気にならなくなる、または無くなってしまう

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気づきは起こそうと思って、自ら起こせるものじゃないんですね。内面から生じる感覚的な体験だから。

ごったにされがちだけど、気づきと思考は違います。 起こるレベルが違う。 気づくはホリスティック。 あ、そうかと頭の中が軽くなる。お腹にすとんと落ち着く。 胸から息がフーゥっと深く出る。 といった体の感覚と一緒に起こる場合が多い。 思考は理論レベルで起こるので、体の感覚をほぼ伴いません。

意志で起こすことのできないこの気づきが欲しい時、どんなことをしますか? 本を読んだり、映画を見たり、人と会って話したりする、ブラブラ歩き回るとか、かな。 

そんなことをしているうちに、受身の姿勢がねじれて、起こること全てに気づきをこじつけていたり。

逆に力が入りすぎて、転がっているであろう気づきを探して目を凝らしたり。

なんてこともあるかも知れません。

気づきとの距離感にあがき、意識しすぎて気づきとは離れていった時期が私にもあります。

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始めて大きな気づきを経験した時の衝撃を今も覚えている。

詳しい経緯はここでは省くけど、ふっとした瞬間に、あることに気づいた。殻を破って、内側から新しい自分が生み出された感覚。心が激しく震えて、涙が止まらなかった。その衝撃に、余韻が3ヶ月くらい続いて、その間ずっと新しく見える世界が眩しくてしかたがなかった。

、、、いや、こう書くとね、怪しい〜という声が聞こえてくる。それはよく分かる。霊性と乖離していた昔のわたしがそうだったから。こんな怪しいこと言う人は、一番関わりたくない人の部類にカテゴライズしていた。でも。その「怪しい出来事」が身に起こり、「関わりたくない人No. 1」側にいつしか回ったわたしが、今はこうして気づきについて偉そうに語っているんだから、人生って本当に何が起こるかわからない。

話を元に戻す。

じゃぁ、気づきを体験するためには、どうしたらいいのか? 

気づきの過程は、自分への問いかけから始まる。これ大切。そもそもどうして気づきが欲しいのか? 何を求めているのかはっきりさせる。→ ここは自分がやること

ステップその2。気づきが起こりやすい土壌を地味に耕す。→ここも自分がやる

トライアンドエラーの後、「気づきは起こすことができないけど、起こりやすい環境というものがあって、そこを地味に耕すことはできる」という結論にたどり着いたのですよ。

そして、最初の問いかけに対しての答えが、気づきとして起こる。→ここはお任せ

方程式 問いかけ×気づきが起こりやすい土壌作り=気づき

気づきの起こりやすい土壌って何?

好きな本を読む 好きな映画を見る 好きな人と話す 内側に向かう時間をとる よく寝る ぼーっとする時間を過ごす とか。もちろん、瞑想、タロット、リーディング、ヨガなどのエナジーワーク全般は、気づきの土壌を栄養いっぱいにします。

要するに、「求めてるものがはっきりしたら、毎日のんびり土壌をととのえながら、気づきが現れるのを待つだけ。」

え〜、そんなに簡単な訳ないでしょ、という声、はい、聞こえてますよ。でも、行動に移すのは思うより簡単じゃない。いつどんな風に起こるかわからない、正体不明の気づきとやらのために、毎日耕すなんて、無駄なことできない、と頭の中の大きな声は言います。実は、ここがミソです。

その声をかわしながら耕し続けることが、気づき体質を作り出します。

ここからは

気づき体質→気づき→土壌を調えるモチベーションアップ→気づき体質強化、、、とループです。気づきの沼です。あまりのパラダイムシフトにハマります。何しろ霊レベルでの現象なので、文字通り、言葉では表せません。なんて言葉にすると、よけいに薄っぺらいのが気になるけど。

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ブログ名の「羽の生えた長ぐつで」は、気づきに向かって、道を一歩いっぽ歩く毎日、、、のイメージにもつながってます。あれ、わたしここで何してるんだっけ?と、道を見失いそうな時のわたし自身への道しるべでもあります。

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