エンドレスサマーの夢を見る

ホテルの大きな窓から、町がゆっくり薄いピンクに染まるのを眺める。シンガポールの日の出は午前7時。日の入りは午後7時。ほぼ赤道に位置しているここは、一年中同じ時間に日が上って、日が暮れる。

隔離2日目。アメリカから移動してきた時差ぼけがまだ残っていて、5時前に目が覚めていた。20cmくらい開く小窓を押し開けると、生暖い夏の香りが入り込んでくる。久しぶりの大好きな夏の香りを、胸いっぱいにすいこむ。

そうだよ、ここは終わらない夏。宿題に追われる夏の終わりもやってこないし、秋の気配と共に訪れる寂しさもやってこない。

そして、ふっと。変化しないって、それに伴った心の動きも起きないってことだよな、と。

日本人の豊かで繊細な感性は、風土と四季によって育まれた部分が大きいと言われることに深く納得する。冷たい朝の空気の中に、かすかに漂う春の気配。梅雨の雨足の向こうに聞こえ始める夏の足音。自然と環境の変化の中で心が動き続け、耕されて豊穣になる。

四季がない。自然災害もない。一年中同じ時間に太陽が上って沈むこの場所では、変化とは住人全員に平等に訪れる環境的ものではなく、望んだ人だけが起こしていく人工的な行為という意味合いが多い気がする。

日本で生まれ育った私にとっての夏は、祭りの夜の生暖かい空気と灯。何も起こらないけど起こりそうな期待いっぱいの青空。その先に待っている夏の終わりを見ない振りをしながら食べるお風呂あがりのスイカ。終わっていく寂しさを抱えながら、夏は複雑に輝いている。

南の島の夏は、わかりやすい夏だ。隣り合わせな寂しさも、終わっていく予感も共存しない。昔から南の島が好きなのは、夏の強い日差しに作られる影の部分に、こころがざわつかないからなのかもしれない。終わらない夏の夢を見る場所。今日も明日も暖かくて、秋の足音は永遠に聞こえてこない。

何かが終わって何かが始まる。変化の渦中で生まれてしまうこころの動きから逃げ込むのにぴったりな南の島。望んでいない限り、変化は向こうからやってこない。

もちろん、日々の生活の変化は、ある。雨の日も晴れの日もある。そうゆう次元じゃなくて、カレンダーの数字が届かない場所で、時計が止まる感覚。

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手にしてみたら、また針が動き出した。

そろそろ夢が覚めるみたいだ。

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