食べたい気持ちが止まらないのはどうしてなの

タイとの国境近くに位置するマレーシアのある州は、国内で一番イスラム教色が強い州です。街中でも、レストランでも、ホテルでも、ヒジャブ(頭を覆うベール)をかぶっていないのは、私一人。
宿泊していたホテルの朝食はビュッフェでした。国内旅行していると思われる宿泊客が何を食べるのか眺めていたら、炭水化物と油のてんこ盛り。おどろきました。
旅行中は非日常で、ホテルの食事は楽しみの一つですが、
全員が、朝から揚げ物と炒め物を大量に食べているんですよ。そもそも、気持ち程度の生野菜を除いて、並んでいる料理のほとんどが、炭水化物、炒めもの、揚げものと甘い飲み物でした。
唯一気が進むおかゆを食べながら、カラダの依存について思いをめぐらせる。

砂糖( の種類にもよるらしいですけど)は、中毒性があることが知られています。カフェインやアルコールと同じで、「もっと」欲しくなるんですね。
カラダが何かに依存していると、依存部分は自分のコントロールが効かない状態にあることになります。
自分のカラダでありながら、自分で制御できない部分。
そして、カラダの行動で制御出来ない部分は、他からのコントロール、刷り込み、洗脳が根付く部分でもあるらしい。
例えば、宗教によっては、アルコール禁止とかありますが、
それを補うように、スイーツやドリンクが激甘だったりします。
砂糖を常習することで、カラダが依存状態に陥って、宗教の教えがしみ込むようになっているんです。
洗脳はなにも精神的な宗教に限ったことではなくて、仕事、健康、人間関係、感情など、何にでも当てはまります。
シリコンバレーの仕事中毒は、コーヒーとダイエットコークのカフェイン中毒とつながっているように見えるし、
シンガポールを含めたアジア圏のタピオカドリンクは、砂糖の依存状態を維持する新役者に見える。
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カラダの「止められない止まらない」は、自分の意思が通じない場所(考えが採用されない場所)で、
自分の意思が通じない場所は、他者からの刷り込みが入り込む余地があることを意味します。
逆に言うと、誰かを支配したかったら、カラダの強い依存状態を作り出せばいいわけです。
この手法は、宗教に限らず、ほとんどの企業とマーケティングで使われているのは気のせいではありません。
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以前のリーディングで、
カフェインを取りたくないのに、お茶が止められない方は、
お茶は「国民的万能ドリンク」で、「一息つくこと」が解決だという「文化的信仰」が刷り込まれていました。
日本のテレビコマーシャルはまさにこれです。
カラダのカフィエン依存を支配しているのが、文化的信仰。
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以前ヨガを習った先生の師匠は、
カラダの中の細胞の一つ一つまで意思を巡らせた
と話していたそうです。
これは、カラダの細胞一つまで、自分の意思を通し、所有していたということです。

自分の人生を生きるために、自らをいやし始めると、食生活が変化することはよくあります。
他者からの影響や世間の価値観から自由になっていく過程で、カラダレベルでの依存状態が解消されていくんです。
反対に、カラダレベルでの依存状態から自由になっていくことは、それまで支配されていた影響や価値観から解放されていくことにつながります。
カラダの物質的な依存状態と、精神的、スピリチュアル的なコントロールがつながっている場合が多いからです。
カラダレベルの「止められない止まらない」の悪循環から抜け出したくても抜け出せない時は、
そこにしみこんだ価値観や洗脳に、無意識に同意している場合がほとんどです。
ライフスタイルや交友関係を変えてまで、自分を癒やしたいのか?
変わりたいのか?
突き詰めていくと、そんな現実に直面することになります。
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