与えて受け取る

大きな苦しみを抱えている知人を元気づける方法があるとしたら、何だろうかと考えたことがある。そして、私が何かを手伝ってもらえば、彼女の元気につながるんじゃないかという気がした。小さなことでいいはずだ。家具を動かすのを手伝って欲しい、寄付用のクッキーを一緒に焼いて欲しい、午後犬を預かって欲しい、留守中の家を見回って欲しい、など。
他者の為に与えることは、イコール自分の力を体験することだ。
だから、クッキー作りを手伝い、留守中の家を見回る時、その人は他者(私)の為に与えることのできる自分の力を体験できる。元気や気力は、体験されて初めて自分のものになる。相手のメリットの為に与える体験をすると、人は自分の中の力を感じることができる。
僧が行う托鉢は、私たちに徳を積む機会と、与えることで力を体験させてくれるきっかけを作る立場に自らを置く修行なのだと見ると、納得できる。だから、与える側の私たちが感謝すべき側の人間となる。
ボランティアで元気になる人が多いのは事実だ。托鉢のように、物質的な流れだけを切り取って見ると、受け取る側のメリットが多いように見えるけど、実は与える側が受け取る恩恵はとても多い。どんなボランティア状況でも、やってあげてる的な態度が出てしまうなら、これに気がつくと見方が変わるはず。
スピリチュアル的な精神論で、受け取る為に与えろ!と言われるのは、与えることで自らの力(自信や気力)を体験する→もっと与えられる→もっと元気になる→自信がつく→行動に移すというサイクルを作り出すからだと思われる。逆に、無料の品、情報、支援を受ける立場に居続けると、物質的には安定するかもしれないけど、気力的には元気になっていけない。
説教じみているけれど、自分が与えられる何かを知ることは自分の幸せにつながる。他者の為になる行為をするから偉いのではなく、自らの力を体験して、自分の力を知るから自信がついてくる。仕事、ボランテイア、家庭、コミュニティーと、持ち場はどこでも構わないし、内容もシンプルで十分。ただ、与える側の自分が受け取る元気を意識するだけで、日常のなんでもなさそうな行為を通して、案外豊かな自分に気がつける。
日が落ちて暑さが少し落ち着く午後7時過ぎ、いつものように、犬と一緒に近所を散歩する。犬はそこにいるだけで癒しだし、犬との生活で、私は犬の世話が出来る力を体験させてもらっている。そういえば、ペットを飼うことで元気になる人も多いよね。