幸せは、幸せを感じる自分の中に

現実とリアリティーにはいつも差があって、自分なりの解釈とか感情のフィルターがその差に埋まっています。現実とリアリティーの差が少ないと、「今、ここ」感覚が強くなって、差が大きいと現実離れ感が強くなります。
大した出来事ではないのに、(例えば、道ですれ違った人が不機嫌で睨まれた(ように見えた)、コップを割った、風邪をひいた、など。)悲観的に感じてしまうのは、フィルターに悲観が付いているからで、こんな場合はわりとわかりやすく、あ、フィルターが発動してるなとか気がつきやすいし、不快感が伴うので、意識的に変えていこうと思ったりする場合も多いかもしれない。
同じフィルターでも、映えフィルターが発動している場合はあまり自覚されないかもしれない。映えフィルターって、今作った言葉だけど、インスタ映えに使われるような、ハレな気分を作り出すフィルターです。多くの情報がとても早く飛び込んでくる今の時代、無意識に映えフィルターでリアリティーを作り出したり、幸せに見える映えリアリティーを追ったりするのでは。自覚しにくい理由は、映えフィルターが作り出すハレに執着しやすいからです。落ちたところからは脱出したいけど、高いところからは降りたくなくなります。
映えたリアリティーを生きるのが、悪だと言いたいのではないです。
ただ、純粋な幸福感とか喜びを求める人にとっては、たくさんの情報に乗っかって、映えたリアリティーを体験しても、そこにあるのは、幸せに見える幻想、人工的なハイです。幸せだと思い込んでいる自分とも言えるかもしれません。追いかければ追いかけるほど、疲労感と劣等感が溜まるだけです。
幸せの条件は、いつの時代にもありました。ひと昔前の、収入や学歴はこれくらい、洗礼されたライフスタイル、などの漠然としたイメージに比べて、今の時代は、ネットワークと個人メディアが発達したおかげで、条件がより具体化されました。視覚的に扱えるようになってきたので、幸せへの解決策として、現実ではないリアリティーに手を伸ばしやすく感じるのだと思います。
本当の幸福感を体験するのに、映えリアリティーは必要ありません。映えリアリティーを手放した時に初めて、現実とリアリティーのギャップが埋まって、自分の内側から幸せを感じる隙間ができるんです。
幸せは、幸せを感じる自分の中に。