ヒヤシンスとチューリップといのち

大きな公園を散歩してみたら、緑が濃い丘と澄んだ青い空が美しかったです。今年の北カリフォルニアは雨が多くて寒いんだと、会う人みんなが教えてくれます。雨が多いから緑も濃いんでしょう。寒かったせいもあって、例年より花が咲くのも遅いみたいです。ファーマーズマーケットでも売られていたヒヤシンスが、公園でも咲いていました。カリフォルニアポピーの葉が生い茂っていたけど、花はまだでした。あと2週間もすれば丘がオレンジの花でいっぱいになるかな。
四季の移り変わりと植物の成長。自然のサイクル。生き物のいのちは終わることなくぐるぐると巡りながら続いてます。変わることが通常で、立ち止まることがない循環。私も自然のサイクルの中の1つの生き物のいのちとして、立ち止まらずに変わっていく姿が自然なのだと教えられます。変化に抵抗したり、立ち止まりたくなった時、それは私の本来の姿ではないらしい。楽しいことも嫌なことも、全ては移り変わっていきます。
生き物のいのちではない何かが含まれてしまうと、自然のサイクルの中で変化し移り変わっていくはずの痛みや苦しみは色褪せていきません。例えば、他者の判断、感情や執着、未解決な過去の出来事などが関わっていると、自然のサイクルの癒しと変化が機能しなくなります。洗浄機能のある河川や海も、積もる枯葉と微生物から作られる土壌も、人工的な要因が重なってキャパオーバーになると機能しなくなるのと同じです。個人レベルから、コミュニティーレベル、国レベルまで、私たちはどれだけの人工的要因を抱えながら、自然の流れに逆らっているんでしょうか。
10数年前、庭に植えたチューリップの球根が春になって芽を出した時のことを思い出します。春になると芽を出させるいのち、生命力をチューリップに感じて、同時に、私の中にも同じいのちが存在しているのだとその時知りました。理由は忘れてしまったけど、その頃あまり幸せを感じていなかった私は、チューリップのいのちに衝撃を受けて、生きる気力が自分の中にあるのを感じました。このいのちが、変化しながら、終わることなく巡る自然のサイクル。チューリップのいのちが私の中にも存在している事実に、私はとても安心しました。このいのちに任せれば大丈夫なんだ、って。
今日出会ったヒアシンスに、いのちと自然のサイクルを改めて気付かされました。いのちと一緒にまた一歩前に進んでみるよ。