インスタントグラティフィケーションとスピリチュアルについて思うことなど

Instant Gratification – インスタントグラティフィケーションは、テクノロジーやネットカルチャー分野で良くきかれる言葉です。元々マーケティング用語で、消費者欲求を即解消するという意味のよう。

グーグルでなんでも検索出来る。家族、友達と一瞬で連絡が取れる。欲しいものもクリック一つで手に入る。これが、インスタントグラティフィケーションです。海外に長年住んでいて、Kindleで本が読めるようになった、無料アプリで海外と通話可能になったなどは、本当に便利でありがたいことです。

それと同時に、我慢、諦め、工夫する必要がなくなったのも事実です。無い状態と待つ時間に存在していた何かは、テクノロジーの進化の影で絶滅してしまいました。人は、欲しいものをなるべく楽に手に入れたいという欲望に従うのが自然な行動なのだと思います。

そんな便利な世の中で、スピリチュアルな成長は、目に見えない、一瞬で手に入らない、正しい答えは検索できない、と、インスタントグラティフィケーションの真反対を行く分野です。なので、わかりやすい他者の活動や結果をネットとメディアから大量に取り込んでしまったら、焦ったり自分を疑ったりしやすくて、自分なりのスピリチュアルを歩むことに疑問を抱きやすい状態かもしれません。世間や他者と自分の比較は、自分が苦しいだけです。特に、スピリチュアル的な成長は本人にしかわかりません。

どうしたら、自分の成長に気づけるようになるのか?

自分の中で比較していくしかありません。そして、これには注意点があり、必ず見えない”質”の部分で比較することです。例えば、呼吸が楽になった、体の力が緩んでいる、家族にかける声が優しくなった、他人のミスに対して寛容になった、不安を感じることが少なくなったなど、見えないけれど、自分の内側の状態を、以前の自分と比べてみることです。物質的に見える何かで以前の自分と比べて成功&達成していても、必ずしもスピリチュアルな成長ではないので、ご注意を。

インスタントグラティフィケーションに慣れてしまって、生の感覚に薄い現代は、逆にリアルな感覚を求める動きにも繋がってきていると感じます。生きている感覚を体験するためには、まず生きているカラダとつながり、カラダのペースで歩む必要があります。瞬間移動ができないカラダ。怪我をすれば痛いカラダ。悲しいと涙を流がすカラダ。便利でもなく、合理的でもないカラダもインスタントグラティフィケーションとはあまり関係の無いところで存在しています。

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