お寺の街で許される。ラオス・ルアンパバーン

メコン川の夕日

バリ島は神の島と呼ばれ、ルアンパバーンはお寺の街と呼ばれている。

そしてどちらの場所にも、許しが漂っている感じがする。

信仰と文化が折り重なって出来上がった空気感なんだろうか。

現地初日の夜、夢を見た。

まだ中学生の私は、友達にウソを付かれたことに腹をたてて、裏切られた辛さを本人に直接話した。友達はウソを謝り、私は許し、仲直りした。

辛かった件を我慢しないで、相手に伝えられたこと。友人がウソを認めて謝ったこと。私が許せたこと。

どれも勇気がいることを乗り越えて和解できたことが嬉しかった。

癒やされた感覚を消さないように、ゆっくりと夢から覚める。

朝ごはんの後、朝市まで散歩する。

・・・・・

細い道の両側には、ローカル向けの見たことがない野菜や食材と観光客向けのギフトが並んでいる。

写真を撮りながら物色していたら、6,7才くらいの女の子が、1人で小さな露店を閉めているところだった。

1つのビニール袋に収まってしまうほどのハーブと、いくつか小物を手際よくしまいこんでいる。

生活を背負っている人間が持つ深い横顔。清潔とは言えない身なり。

ラオスは東南アジアの最貧国でもある。覚悟はしていたけど、いつ目撃してもココロ苦しさは変わらない。貧困。子供たち。生活。

この子はどこへ帰るんだろう?

そもそも帰るところがあるの?

学校は?

お母さんはいるの?

そのハーブ、買って上げたほうがいいのかな?

先進国から来たおせっかいな観光客でしかない私のココロがザワザワしてくる。

ウイルス騒ぎの中でも、今のところは学童に通えている、日本の小学校1年生の姪も思い浮かぶ。

同じ年くらいだ。この子は、学校に通えないの?

ラオスには尼さんなる選択肢はあるの?

でも、知ってどうするの?

本当に知りたいの?

同情って何にもならないよ。

同情するなら金をくれ! くらいに思われるかもよ

私にはどうすることも出来ないよ。

ざわつきと無力感が押しよせる。

私は解決方法を知らない。正解も持ってない。役に立ってない。どう受け止めていいのかさえ、分からない。

辛い現実を目の前に、立ち止まる。

・・・・・

そして。そんな私が許されていることにふと気が付く。

ただ立ち止まっている私が、

急かされるわけでもなく

とがめられるわけでもなく

何も出来ない私が、今の私だ、と。

ルポールも言ってるじゃない。強さと弱さ。どっちも大切だって。

今は、弱いココロを守るために、強いよろいを持ち出す時じゃなくて

弱い自分をさらけ出すために、強い勇気が必要な時。

だから、目を外らさない。

女の子からも。ココロの痛みからも。

許しは、強くて、弱かった。

・・・・・

履き古したサンダルで、早足に朝市を去っていく女の子。幼い兄妹が家で待っているのかもしれない。観光客向けのポーチをチラッと見ていた。

あの女の子が歩む道が、許されていますように。

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