秘境・ルアンパバーン

まだ暗い5:30am。マンゴーツリーが並ぶ路地で、もうローカルと観光客の人影が動いている。

その中から、オレンジの袈裟姿のお坊さんのカサカサという足音が近づいてくる。

お供えをするローカルの人たち。お坊さん達からのお恵みを待つ子供たち。おこぼれ待ちの犬たち。シャッターを切る観光客。

それぞれの役割が静かに行われる、朝の儀式、托鉢。

観光客がいない路地を見つけて座り込み、朝の幻想的な光景に惹き込まれる。

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どちらが与え、どちらが与えられているのか?

私たちの日常では、貰う行為にはいろいろな感情が付きまとう。

時に感謝。優越感。罪悪感。

でも、どちらかと言えば、受け取る側が恐縮な気持ちになる場合が多いと感じる。

お坊さんの托鉢は、そのどれにも当てはまらない。人間どうしのやりとりに見えて、中身はまったくの神聖な儀式だから、そこに感情の貸し借りは発生しない。

毎朝家の神棚にお供え物をして手を合わせたり、寺院でお賽銭を入れて手を合わせるのと同じように、お坊さんにお供え物をして手を合わせる。

わざわざ寺院に行かなくても、向こうから神の使いがやってくる感じ。無理やり日本文化と比べると、お神輿や山車が町に出てくるのと似てるってことか。

だから、人は頭を低く下げて、お坊さんにお供え物をする。お坊さんにいただいてもらう。

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空が薄明るくなり始めて、メインストリートと王宮博物館の角の露天で、朝ごはんのおかゆを食べる。炭で温められている大きなお鍋からのぼる湯気と、バイクを停めておかゆをテイクアウトしていくローカルの人たちを眺めながら、道はしの簡易テーブルでおかゆをすする。鶏ガラの出汁にたっぷり刻まれたハーブ入り。途中でコブミカンを絞ると、また味が変化して、あっという間に食べてしまった。

朝市を歩き回り、焼き餅とココナッツ汁粉も食べる。焼き餅は塩味で、卵の黄身を塗って焼き上げて、バナナの皮で包んである。小さい頃、祖母におやつを手渡されたような懐かしと温かさ。実際は、そんな食べ物食べたことないのにね。ココナッツ汁粉には、かぼちゃ団子と、荒く削ったココナッツ入り。甘くて濃厚な味に、東南アジアにいるんだとカラダが再確認する。

おなかいっぱいになってから、高台に登って、街を見下ろす。今は焼き畑の時期で、特に風のない今日は、朝から真っ白に煙っていて、見えるはずの街が霞んで見えない。

登ってきた道とは反対の裏道から降りたら、下のお寺で小学生くらいの小僧さんたちが掃除をしている。二人の小僧さんが落ち葉で山盛りになった手押し車で楽しそうにダッシュしてきた。一人の小僧さんの手押し車が倒れ、落ち葉が散乱する。あーあと言って、ほうきで片付け始める。普通の子供と変わらない姿。体育会系男子の部活動と同じ雰囲気。

携帯を見ている小僧さんもいて、目の前にいるのはどこにでもいるような男の子達なのに、それでも住んでいる「そちらの世界」との果てしなく広い距離を感じさせる不思議な感覚だった。

観光地や国の経済状況といったリアルと、時が止まったような空気とスピリチュアル感が混じり合って、ルアンパバーンの街全体が、不思議な雰囲気をかもしだしている。

小学校の時に、初めて「映画ドラえもんのび太の大魔境」や「宇宙開拓史」を見た後の切なさと、自分の一部が異次元に繋がってしまったような畏れの感覚がよみがえる。

世界遺産にも登録されているし、すでに立派な観光地なんだけど、できれば秘密にしておきたいと思う、特別な場所。

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