タロット・魔術師と夏休みの過ごし方

夏休みの前に出される課題は、「夏休みの過ごし方」という1日の時間割を作ることでした。

月曜日から日曜日まで、朝起きてから、夜寝るまで。早朝、裏の公園のラジオ体操から始まって、午前中は小学校の水泳教室。家でお昼を食べた後は算数のドリルと、漢字の練習。家事の手伝いもこなしながら、自由研究は7月中に終わらせる。完全無敵な夏休み。時間割を作りながら、規則正しく、充実した毎日を過ごすわたしの姿に満足する。

意気込んでむかえる夏休み初日。なぜか、この時間割の輝きはすでにくもっている。完璧な時間割が決行されることは、3日どころか、1日もなく。

時間割を作ることは楽しい。完璧なわたしをイメージすることも楽しい。でも、夏休み初日、朝5時に公園のラジオ体操に行く現実はきびしい。理想の夏休みと、現実の生活との間には、途方にくれるほどの距離がある。あまりの遠さにおびえながら、最初の一歩を踏み出すこともできなくなってしまう。

同じシナリオを人生で何回くりかえしてきたんだろう?

タロットの魔術師は、夏休みの時間割と、夏休みが約束する可能性を示している。準備がととのって、これから輝くはずの未来を見据えている。

のに、輝くはずの未来はどうしてこなかったの?

希望と可能性に溢れる魔術師は、経験と実力をまだ持ち合わせていない。完璧な自分という可能性は、夏休みの朝5時に起きる理由や、苦手な算数のドリルに取り組む理由になってくれない。

充実した夏休みを送る実力も経験もないわたしが、完成像だけ作り上げても、実行できなくて、当たり前だ。実力がもともとないんだから。

だったら、完成像ではなく、経験と実力をつけるための計画を立てるってのは、どうか。最初から経験と実力は持ち合わせていない前提を思いっきり意識して。

時間割は、時間ごとに振り分けるんじゃなくて、すでにある生活リズムに合わせて組み込む。一口サイズにして。例えば、朝ごはんの前に、アサガオにおはようと観察。算数ドリルを1ページしたらお昼を食べる。友達と遊んだ日は、そのことを日記を書くことにする。

自由研究や作品は、どうしようか。これも、完成品を決めてから材料を集めたりするんじゃなくて、やっぱりプロセス重視型がいい。どうせ毎日やっていることの延長が一番良さそう。わたしだったら、推理小説が好きだったから、シャーロックホームズの舞台になってるロンドンや、探偵について調べることが楽しいし、無理がない。

生活の中に、具体的な行動をはさみ込めば、実行力と経験を無理なく積める。でもわたしたちは、完成形と答えを最初に作り出して、それに向かって計画を立てるように教育されてきた。

本を読んでわかった気になり、スポーツウエアを買っただけで運動した気になり、計画を立てた時点で、終わった気になっている。

これは、魔術師の逆位置。位置が示すように、順番が逆だってこと。

過剰な期待は空回りするだけ。

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完成形や可能性が悪なのではない。ただ、コミュニケーションの取り方によっては、カラダには伝わらないで、逆に怖がらせてしまう。カラダを味方につけて、行動に移すには、カラダの言葉を話す必要がある。

カラダはいつも「今、ここ」なので、最大限具体的な案を出すと、伝わりやすい。

わたしはもっとブログを書く時間を増やしたいと思っている。出来上がったイメージや1日に書く量などを目標にかかげると、急にやる気がなくなる。結局、そんなことは、カラダにとって意味のないこと。面白くないことは、やりたくないのが、カラダの本音だ。

わたしとカラダの対話:

わたし:ランチの後に、ぼーっとネットを見ている時間がある。それを書く作業に充てるのはどうだろう。(カラダ:拒否反応なし)

わたし:1時間くらい。お茶のみながら、音楽聞きながら。(カラダ:抵抗なし)

わたし:眠くなったら、その後昼寝してもいいよ (カラダ:悪くないかも)

ここまで抵抗がないので、早速試してみる。習慣になるのか、観察することに。

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輝いた夏休みを送れなかったわたしは、計画倒ればかりで、地道な努力ができない自分を責めつづけてたけど、

あの頃からの疑問と体験は、今のわたしが自身と向き合う理由と地続きだ。

長い長い夏休みの自由研究は、これからも続く。

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