My year of living mindfully -ドキュメンタリー映画

 

瞑想の実体験だけど、神秘に走らない。内側の体験という見えない部分の数値化と可視化。ジャーナリストの主人公らしく、インタビュー、取材と実体験を通して、今の時代背景にあった瞑想を見せてくれてます。

このドキュメンタリーにとても意味があると思ったのは、子供を持つ母親であり、フルタイムで働く仕事人であり、病や精神不安と共存する生身の人間が、生活に瞑想を取り入れた話だということ。有名なお坊さん、山奥で修行する仙人、スーパー能力を持ち合わせたインクレディブルの瞑想体験ではない。そうではない、よくある悩みにまみれたフツーの人の体験談なのです。
そんな彼女がいろいろなシチュエーションで瞑想する。瞑想が持つイメージに自分を合わせるのではなく、自分の生活に瞑想を持ち込んでいる。バスの中で。レストランで。時にはトイレで目をつぶる姿も。

瞑想が持つイメージとして、時間や心に余裕がある人用の娯楽。というのがある。それを彼女はここでぶち壊してくれてると思うんです。

実際に、難民キャンプで瞑想してる人たちにも取材している。瞑想が娯楽だとしたら、ここにいる人たちに瞑想は全く関係ないけど、実際は、心のバランスをとるツールとして機能していた。瞑想の使い方は各方面でいろいろと歌われていますが、プロダクティビティなんとか、とか、現実化どうのという前に、もっと人間の持つ本質的な何か、人間らしさのようなものを呼び覚ますツールが瞑想なのだと、思い出させてくれる。

では。

お金もかからない。場所も取らない。道具も要らない。目をつぶるだけ。良いことばかりのように見える瞑想だけど、やらない理由があるとしたら、何だろう。

これはね、地味だからだと思う。いや、本当は地味じゃない。瞑想の世界は、奥が深くて、一生かけても開拓しきれないほどなんだけど。ただ、見た目が地味。この映画を見てもわかるけど、実際に瞑想している画って、本当に地味。一人の人が、目をつぶってるだけ。変わるのは、背景のみ。それって、動画は作れないし、画像も地味で、今どきのSNSやらとは相性があまりよろしくない。華やかさで気分が上がって、みんなにシェア!とかもない。ヨガウエアとかキッチンアイテムのように、ネットショッピングに走ることもない。

要するに、商売にならないわけです。お金がかからないということは、経済活動から独立してるってことです。価値が金額で決められ、資本主義に振り回されている今の時代で、完全に独立した活動って、どれくらいあるのでしょうか? だからこそ、瞑想は誰にでも等しく与えられたギフトであり、力でもあるのです。

現代社会。ネット生活。お買い物をすることで、やっていると感じる満足感や、SNSでの評価や数字や金額の、目に見える変化なしに、どうやって瞑想を楽しむのか?

実際に、主人公さんは、途中まで瞑想が苦痛で仕方なかったと言ってます。でもある時から少しづつ「楽」になってきたと。それに加えて、医学的な検査をおこなっていたので、前向きな結果を数値で見たのもやる気アップにつながっています。外世界からの反応と評価が自分のあり方を決めるのに慣れている私たちは、内側のほんの少しの「楽」だけで、瞑想を永遠と続けられるのでしょうか? 

確かに、瞑想を続けていると、感覚の変化に気がつくことが出てきます。振る舞い方や反応の変化も感じられるかもしれません。それと同時に起こるのが

周りの人の反応です。

これは、普段の自分を知っている身近な人から言われることが多いです。家族から「キレなくなった」同僚から「落ち着いてる」友人から「変わった」などなど。瞑想で活性化されたその人らしさや生命力は、隠し切れません。家で一人ひっそり瞑想するソロ活動でも、引き出された「何か」はじんわりとその人をまとい続け、周囲にはダダもれしているんです。

ある日突然、何気なく言われます。「最近なんか違うよね」と。で、その時思うわけです。「えっ?! これって瞑想してるからかな? 」かもしれないし、「でしょ、でしょ。瞑想してるもん。」かもしれません。どちらにしても、見えない何か(瞑想の効果)を他の人に指摘されることで、その見えない何かは確かな輪郭をともなって私たちの一部になり、瞑想を推し進める内側の原動力となっていきます。

My Year of Living Mindfully

by
関連記事

Leave a Reply

%d bloggers like this: