好きだけど苦手・好きじゃないけど得意

好きなことと得意なことが一致しているのは、幸せです。私は事務系、料理、クラフト系は、得意とは言い難いけど、それなりにこなせますが、好きだというワクワクが残念ながら起きません。これらが好きだったら、もっと楽に日常が進むのにという思いでいっぱい。
得意なことというのは、年少時の身近な経験や慣れている状況からきている場合が多いようです。知っている、できるという感覚。英語だと、マッスルメモリーでしょうか。苦手意識がないだけで、なんでもそこそこできてしまいます。それらと自分の興味が一致している場合、人生の方向を決める時とか、日常の運営なんかがわりと滞りなく進むのかもしれない。
でも、得意ではないけど、その道が好きで好きでしょうがない場合もある。逆風に向かっていくイメージです。運動音痴だけど陸上が好きとか、カラダがとても硬いのにヨガが好きとか、あがり症だけど舞台の上が好きとか。自然体でできてしまう人もいるけれど、そうじゃない場合はより努力が必要になるし、困難もそれなりに多くなる。でも、生きる意味だと思えるほど、その人にとっては好きな道ということが、ある。ここまでくると、好きを通り越して、情熱だけれど。
そんな時の情熱は、たましいからの情報だったりする。生まれ育った環境(カラダに染み付いた情報)に沿って生きるのではなくて、たましいのミッションを生きる人生。だからカラダとタマシイの間の摩擦が起こって、乗り越えるべき状況が多くなる。タマシイの道を生きるって、変化と成長の道を選ぶ道でもあります。だからタマシイの道では、摩擦はタマシイが成長するのに必要な大切な資源として捉えることができます。
得意でも得意じゃなくても、それぞれの過程があり、成長はあります。ただ、タマシイには、経験したことがない分野に足を踏み入れたいという欲求があるようで、新境地がカラダの情報と合っていない場合、成長が向かい風として体験される場合が多いです。