教えは矢印であって、答えそのものではない

もう随分と前のニュースになってしまいましたが、エンジェルカードとエンジェルワークで人気のあったドリーンバーチューさんが、クリスチャンに改宗して、それまでの活動を全否定しましたね。タロットやオラクルカード、チャネリングは悪だとね。

私もドリーンのワークショップに参加したことがあり、何よりもあのオラクルカードが好きでした。でもドリーンも一人の人間であり、変わることは普通なので、その件に関して、他人がどうこう言う立場ではありません。

ここで気がつけるのは、カリスマやグルにタマシイごと委ねてしまうことの危険性だと思うんです。これはスピリチュアル系に限らず、ビジネスも人間関係でも同じことです。他人の言うことや教えを丸呑みにして、自分の真実が失われた状態では、自分の足で立っているとは言えません。カリスマやグルが改宗したり、鞍替えした場合、寄り添っていた軸がなくなり自分が倒れてしまいます。

スピリチュアル、タマシイレベルな教えとは、本来、自分軸とのつながりを強めるものなんだと思うのです。決して依存を強めるものではない。

自分を癒せるのは自分しかいません。このシンプルな真実を意識することで、生徒側の人は、カリスマに答えを求めることは無駄だと気づくことができるし、教える側の人は、生徒の自立を促すことができる。

教えは、それぞれの答えへの導き、矢印であって、答えそのものではありません。答えは自分で見つけるしかないのです。

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