影響を受けることと足を引っ張られることは違う

気がつかないうちに、エネルギーが落ち込んでいることがある。なんとなく調子が出ないな〜とは思っているけど、実際の落ち込み程度はわからない。落ち込んでいることをどこかで否定したい気持ちもあったりして、兆候は目に入りにくいのかもしれない。

落ち込んでいる時の世界は、グレーな色をしている。目に映った青い空も、誰かの笑った顔も、暖かい食事も、こころに届くとグレーに響く。暗いニュースや重い話題に意識を引っ張られがちになる。この世界は閉じていて、新しい可能性も見えなくなる。

最近は、お気に入りの曲を聞きたくなると、そんな状態から脱出したサインになっている。逆に言えば、落ちている時は、お気に入りの曲を聞きたくない。それだけじゃない。買い物に行くのも、キッチンに立つのも嫌になる。溜まった洗濯物にも追いつかない。

落ち込んでいる時期の捉え方には選択肢がある。

次のステージを迎えるための「調整期間」だと見てみる。サイクルには終わりがあるし、浮き上がった時にもっと自由になっているはず。

ルネッサンスは、14世紀のヨーロッパのえき病の後に起こったのだと聞いた。もっと大きく、違った視点からながめると、世界は違って見える。

狭い視点から見ている事実を認識することも、違う世界を見るための一歩になる。

大多数の賛成はその時の常識と呼ばれるけど、真実とは違うから。

世界を変えることは、個人の仕事じゃない。でも、視点を変え、あり方の重心を変えることで、違った世界に生きることができる。「これが世界です」という狭いリアリティから自由になる。

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世界全体が落ち込んでいる今。大多数合意のリアリティに、足を引っ張られ、個人レベルでも落ち込みがち。

自分もそんな空気を同じく呼吸しているのだと認めてみると、からだが安心して力が抜けていく。抵抗は抵抗を生み出す。

どんなにお金持ちでも恵まれていても、「スピリチュアル」でも、パンデミックの影響を受けていない人はいない。「自分だけは違う」と考えているのは頭だけか、現実を否定しているかのどちらかだ。

この空気感、どこかで経験したことがあるなと思ったら、2008年のリーマンショックの時だった。

当時の経済混乱に自分だけは関係ないと、抵抗している人をたくさん見た。具体的に言うと、経済混乱に巻き込まれて、仕事や家を失う当事者にはならないように、必死に関係ないフリをしている人たちだった。

経済混乱に意識を引っ張られながら、抵抗している時点で、すでにつながってるんだけど、そこには気がつけないんだよね。

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影響を受けることと、足を引っ張られることは同じじゃない。

合意的リアリティの落ち込みに足を引っ張られないで、具体的に受けている影響を見つける。さらには、自分の反応にも気づく。

そんなあり方を探る練習が、今の空気に合っている感じがする。

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