自分との一人時間を練習

外出規制が緩んでから、週に一回はヨガスタジオに通っている。

わたしはスタジオが好きだけど、オンラインクラスが気に入って、スタジオに戻らなくてもいい人も多いらしく、ハイブリッドなレッスンになっている。

先生いわく、ヨガは個人的なプラクティス。

1人での練習に向いているのが、外出規制でオンラインクラスに移行したことではっきりわかったとのこと。

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スタジオレッスンの、広い空間、先生の生の姿と声、ヨガな雰囲気が好きだ。

今は使えないけど、道具もそろっているし、先生にポーズをアジャストしてもらうのも大きな利点。

オンラインレッスンは、移動しなくてもいい気軽さと、それほど構えなくてもいい精神的な気軽さがいい。

参加するのに、少し緊張する時もあるから。

一人でするヨガは、自分の声だけを頼りに、100パーセント自分に向き合うところが、レッスンとは全く違った質になる感じがある。

それぞれの気づき方があって、それぞれ支え合っている。

だけれど、ヨガプラクティス全体を底から支えているのは、一人でヨガと向き合う時間だと思う。

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自分に向き合う一人の時は、気づきが起こりやすい。

瞑想に関しても、レッスンやワークショップはもちろん指南として必要だけれど、結局は自分で行うもの。

「自分との一人時間」をどれだけ過ごしているかで、ヨガも、瞑想も、その他の「修行」も深まり方が違ってくる。

わたしもその傾向があるけど、繊細な人ほど、周囲と人が気になって、自分に集中できなくなる。

だから、一人でいるっていうだけで、リラックス度も集中度も違ってくる。

「自分との一人時間」を確保すること自体が「修行」とも呼べる。

レッスンへの参加表明、参加費、先生との関係を通して、グループレッスンに自分を縛りつけることはできるけど、一人だとそうはいかない。

やらなくても、誰に迷惑をかけるわけでもないし、損をするわけでもない。

生活と家の雑務、ネットやテレビの誘惑を押しのけて、「生産性のない一人時間」を選び取り続けることは、簡単じゃないです。

だから、「自分との一人時間」を持ち続けると、実質の「練習」に加えて、「修行」としての質が増えるみたいだ。

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それにしても、「修行」に変わる良い言葉はないんだろうか? 

苦しくてストイックなイメージしか浮かばない。

「プラクティス」とカタカナで書いてみても、肌にしっくりこない。

「お稽古」では限定されすぎている。「わたしもやりたい!」と思わせてくれるワクワクする言葉。ないかな〜。

2020-07-17|Tags:
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