こころの乾きはお手軽な結果では満たされない

周りには便利が溢れています。旅行に行きたい時、旅行会社のパッケージツアーが用意されていて、主要な場所に訪れることができる。写真を撮るのにも、一眼レフだって、オートモードが搭載されていて、ある程度は綺麗な写真が撮れるようになってます。

でも旅行でも、カメラでも、その気になれば、隅々まで自分の好みを反映させるオーダーメイド的なことだってできるのに、どうしてその過程を踏まないのか? 

もしかして、結果が優先されるとき、過程は便利なサービスに取って代わられてしまうのかもしれない。目に見える結果が重視されることによって、できるだけ楽に結果を手に入れたくなってしまうのではと考える。

過程を楽しむ術と理由を、私たちはほとんど教えられてこなかったんじゃないか。過程を楽しめると、いろいろなことが違って体験されるはず。旅行だって、自ら計画したものなら、旅と呼ばれる方がたぶんふさわしい。自ら構成してマニュアルでとった写真なら、愛着がもっと湧くようになる。結果というプロダクトを超えた、プロセスを含めた体験そのものの満足度が高くなる気がするんです。

過程を楽しめたら、ダイエットってどんなに健康的だろう、、、。今の自分と未来に存在するはずの結果の間に横たわるギャップを埋めるためにただひたすら我慢したり、努力したり、自分を偽り続けるのは苦しいし、エスカレーターに乗るように丸ごと人任せなのも虚しい。

その時その時の自分と一緒に、あーでもないこーでもないと右往左往する体験って、効率は良くないかもしれないけど楽しい。プロセスを楽しんで、最終的に望んだ結果が伴わなくても、経験が自信になって、その後の自分の支えになってくれるんだと。プロセスが自分独自のストーリーを作り出して、私を私である理由にしてくれる。だから、便利を持ち込むことによって、経験や自信の機会が失われてしまうんだったら、使い方に気をつけたいな、と。それに気がつきはじめている人も多くなってきていると感じるし、飽きてきた人も多いのではないでしょうか。それって、お手軽な結果で満たされない心の乾きです。

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