バラ柄タオルの贈り物

友人に、バラ柄のミニタオルをいただきました。ハネナガちゃんをイメージして選んだんだよ、と。これは、私がバラのような人だから、ではありません。瞑想の中で、バラのイメージを多用するんですが、友人が、私をイメージした時に浮かび上がるのが、オーラの中のバラのイメージだった、ということです。(本人気づいてないけどね。)友人は、私が瞑想でバラを使用していることなんて全く知りませんが、イメージというたましいの言語を無意識に使った時に、バラが出てきたんです。ちなみに、もう一人の友人にもタオルを送ったということですが、そのタオルも(別柄)その友人ぴったりのイメージでした。
気がつかないけど、たましいの言語を使っていることは、多いです。そして、なんとなくや、先の友人のように、イメージしたらこんな感じだった、など、漠然とした感覚がたましい部分とのつながりだったりします。
だから、逆にあまりにもわかりやすい正当性や強い確信を感じた時は、疑うようにしています。これって、本質なんだろうか? 目に見えて手にとってわかりやすいものは、たましいからのコミュニケーションではないことが多くて、その瞬間だけの満足だったり、息が短い正解であることが多いのでね。
タオルのバラ柄が、たましい部分に語りかけてくる。嬉しすぎて、気の利いた言葉が出てこない。友人にはこの現象は怪しすぎて伝えられないし。でも、この喜びは、伝わっているはず。なんとなく。
2019-07-31 by
関連記事