スピリチュアルが好きだと言う

好きなことを好きだと言うのは、結構難しいと思います。好きな食べ物や色なら、あまり抵抗なく伝えることができます。でも、音楽や本や映画になると、少しだけ躊躇が入るのではないでしょうか。この辺りになると、個人の好みや抵抗が相手の反応に表われるので、伝える側もその反応を意識することになるからです。お気に入りのブログや思想などは、もっと好きだと言いにくいかもしれません。
自分の好みに偏見と差別の目を向けられた時、私たちは好きなことを好きと言えずに隠すようになります。スピリチュアルに関しては、地に足のついたスピリチュアルが好きで、実践している人たちは沢山いますが、その多くの人が周りに話せずに、ひっそりと活用しています。
私が一番最初に出会った偏見は13歳の時でした。今は懐かしいマイバースデー(雑誌)が愛読書で、クリスタルを持ち歩く、スピリチュアルが好きな中学生でした。ですが、自家製の儀式を友達に披露した時に、「それって、全部ウソなんでしょ」と冷たく言われてしまいました。今ならわかるんです。そんな怪しいものを披露されても、友達も困ったでしょう(汗)披露する私も私です。それ以来一切スピリチュアルの話題をすることは止めて、さらにスピリチュアル自体からも遠ざかって行きました。この時のショックは凍結されて記憶の中に沈みました。大人になってスピリチュアルを再開し、瞑想の中でこの出来事が思い出されるまで20年近くが経っていました。
スピリチュアルを好きだと公言できないのは、偏見と差別を向けられた過去があったり、否定派が身近にいた、または現在いる場合です。スピリチュアルは受け身で弱い人のやることだというイメージは代表的な偏見の一つです。実際は、自分の内面と向き合う過程には覚悟と勇気といった精神的なタフさが必要です。
地に足のついたスピリチャルプラクティスは、自分を癒し成長させるタマシイの健康維持につながります。それを好きだと伝えるのは、自分のためでもあるし、まだ公言する勇気のない人に勇気を与えるきっかけになってくれるはずです。