痛々しく美しい景色と時間

2020年3月。

夜空を見上げたら、星が沢山見えてびっくりした。

いつもだったら、大気汚染と街の灯りで、数えるくらいの星しか見えないのに。いつもより空気が澄んでいるらしい。

友人から送られてきた、封鎖されたサンフランシスコの街並み。

別の友人はこの動画を見て、

Oddly beautiful

と言った。不思議な美しさ、か。

この光景を見て、私も痛いほど美しいと感じた。

街を覆いつくす不安と経済的な打撃。

息を潜める人々の生活。

見えない背景が街並みに重なって、痛々しさが伝わってくる。

そして。とても辛い思いをして、ココロを痛めている時にだけ、その引き裂かれたキズに深く染み込むような美しさを体験できることがある。

涙でにじんだ景色に浮かぶホタルのあかりのように。

砕けそうな心を照らす朝日と真っ赤な岩山のように。

サンフランシスコの美しい街並みも、いつもは届かないココロの深い部分まで染み込んでいく。

・・・・・

人間の経済活動が停止して出てくる副作用。

ベネチアの澄んだ運河。

騒音のないニューヨークシティ。

大気汚染が減った空。

自由を取り戻した郊外の動物たち。

踏まれる心配のない草花。

どれもこれも、美しくて、痛々しい。

普段は経済活動ために諦められている本来の姿。

でも、大きな代償を払っていることをみんな本当はどこかで気づいている。

社会と経済活動を優先させて、見ないふりをしているだけで。

そして今回、それらの代償ははっきり形になって見えている。

本来の姿を目撃した後、見なかった振りをするのか。

それとも本来の姿を保とうと変わるのか。

そんな選択肢を突き付けられていると感じる。

自己変革中に起こる現象と似ているかも。

垣間見た本来の自分の姿をなかったことにして、今までの自分に戻ったり、本来の姿を取り戻したり。

今、個人的にも、払ってきた代償の大きさに気づく人が多いはず。

これをきっかけに、より本来の自分の表現について考えることへつながっていく。

それてしまった道に戻るのではなくて、もっと持続可能な道を見つけ出す時。

人間活動が止まると、自然の浄化作用が再開されるのと同じで、個人の精神的な浄化作用が活動するためには、表面的な活動が止まる必要がある。

走り続けている間は、精神的な活動は止まっている。

意識的に止めることも出来るし、(休職して旅にでるとか)  今回みたいに、外的要因で止まってしまうこともある。

どっちにしても、求めている人にとって、精神的な活動量を上げるには、適した時期になる。

立ち止まった時にだけ見える景色がある。

立ち止まらないと見えない景色がある。

非常停止ボタンで、急停止している今だけ、見える景色がある。

ココロに染み込む風景に出会える特別な時間。

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