大人の都合から自由になる

大人の都合を身につけることが成長だとされることは多いよね。まだ子供だねって誰かが言う時、それは大人の世界を知らない青さを指摘されてたりするし。年を重ねる=大人の都合を身につけてスマートな振る舞いをする、が目標になる場合は多いと思う。

そんな大人になる過程で、失われるのが自然の理。ことわり。内面の熟成と気づきを無視したスマートさは、上辺でつじつまを合わせているだけで、虚しい。でも、大人の都合と呼ばれる無言の圧力にずっと囲まれていると、社会生活を送る為にはそれだけが必要なんだって、錯覚してくる。でも、大人の都合はあくまで社会の都合。自分の真実ではないから、自分の内側でつじつまが合わなくなってくる。そして、矛盾をかき消す為に、大人の都合をこじつける悪循環から抜け出せない。

子供から大人になる過程で、ある程度社会の都合を身につけることは、生存に繋がっているから、ほとんどの人が通る道で、その後、大人になった時の癒しが、身につけてしまった大人の都合から自由になっていくか、になる。大人の都合を手放した時にアクセスできるのが、当時失われた自然の理で、自分の真実。なんか、遠回りしているように感じるけど。

by
関連記事
%d bloggers like this: