露天商のぼんやりとした灯り

昭和の中頃は、家族の大人に連れられて繁華街へ出かけると、道端に小さな灯りがともったテーブルが出ている光景が時々見られた。易とか手相などと書かれた看板が、日がくれた街の中にぼんやりと浮き上がって、お客さんが座っていたりいなかったりする一角だけ、都会の喧騒から切り取られた特別な空間に見えた。幼稚園や小学生の子供目線に、小さな灯りとテーブルの高さがぴったり合っていたことも、よく覚えている理由かもしれない。当時は、具体的に何をしているのかわからなかったし実際に見てもらったこともないけど、目にするたびにその神秘的な雰囲気に惹かれていった。
大人になってからは外国で道端でお店を広げているタロットが気になる。どうしても、道端でお店を広げているというのが、必須らしいのが面白い。タロットや易のお店には同じように惹かれないから。
オーチャードのカフェでタロットを広げながらそんなことを思い出していた。道端じゃないけど、窓の向こうのオーチャードにはたくさんの人が行き交っている。小さい頃の私は、当時は言葉にできなかったけど、お客さん側に座ることを望んでいたのではなくて、よくわからないけど”テーブルの向こう側の人”になることを望んでいたのかもしれない。小さかった私が投げかけた小さな夢を、大人の私が受け取って今実現してあげているのかもしれない。
小さかった頃の私に言ってあげよう。
あなたが大人になったら、シンガポールって言う国でね、タロットっていうカードを広げてるよ。楽しみに待っててね。
それとも、大人の私がタロットやヒーリングをすることになっていたから、小さな私が、易の露天商に惹かれていたのか。
2019-05-02 by
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