時間の同時進行についての独りごと

時間は一方通行に流れている訳じゃない件が、最近よく頭に浮かんできます。全ては同時に起こっている、とかね。例えば、不妊治療を止めた途端に妊娠がわかったりする話を聞きますが、それも、近々妊娠することが確定したので(無意識下で)、治療を止める気になったのではないか、との考えです。一方通行の時間的な見方では、治療を止めた→妊娠した ですが、本当のところ、妊娠するから=治療をやめることになった です。

青いスカートが欲しくなって手に入れて、たまたま数週間後ランチに着て行ったのではなくて、ランチにそのスカートを着ていくことになっていたから、事前に青いスカートが欲しくて、買いに行くことになっていた、とか。ランチにそのスカートが存在していた理由は、例えば、ランチ友達のその日のオーラが青とか、レストランオーナーが祖母から受けている影響が青とか、そんなかもしれません。

行動と結果の同時進行も、そんな感じなのかなと。私が書いているこの文章だって、結果として誰かに読まれますが、同時進行だとしたら、読まれることと起こる反応がすでに存在しているから、書いているとも言えます。だとしたら、私が考えて書いていると思っているけど、すでに存在している考えやアイディアを形にしているだけです。書く側と読まれる側の共同作業ですね。

「この経験するために、今までこんな道を歩んできたんだ」って、振り返るとそれまでの道のりのつじつまが合うことを経験したことがあるかもしれませんが、それだって、「この経験」が常に存在していたからこそ、それに沿った出来事が起こっていたとも言えるんじゃないでしょうか。「こんな道」を歩んだから、「この経験」が起こったのではないんです。「今」と「結果」の同時進行、共同作業です。

そうすると、やっぱり結果を変えられるのは今だよ、という話になるかな。未来のために何かをするのではなくて、今の自分に働きかけることで、未来の自分にアクセスできてるわけです。だから、意識を向けるのは、常に「今。」

今私が感じている違和感は、未来の自分の体験でもあるし、過去の自分の体験でもある。たましいはホリスティックな存在だから。

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